この世は
まるでマトリョーシカのような
入れ子式になっていて
たとえば、クローゼットの中と
心の中が連動しているといったように
一事が万事といったことわざがあるように
すべてはつながっていると考えているのですが
お水の動きからも
ひとのあり方を学ぶことができるんです。
以前、ゆの里の社長のお話会で
水に関するこんなお話を聞かせてもらいました。
これは
そのまま
ひとにも当てはまるようではないですか?
受け入れているか・いないか。
結合をはずして、玉になり、つないで、離す。
受け入れるって
意識し直すだけで
なにか、ことが起きても
とらえ方がまったく変わってきます。
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なにか予期しないことがあったら
ムキッとなる前に
一拍、「受け入れる」をいれてみる。
「これはだれのせいでもなく、ただそのことがあるだけ」でも。
とらえ方が変われば
起きていることは変わらなくても
自分の中の物語は
いかようにでも変わってしまうことになりませんかね。
よかったら
ちょっとしたことでおためし下さ〜い。
結構おもしろいですよ。
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以前にね、
娘が貧血でいきなり倒れて
頭から血が出たことがあったのだけど
そんな時は「受け入れる・・」とは
とても出来なかったなぁ
今でも無理。
(たんこぶ部分がちょっと切れただけでした)
ちょっとムカッとしたときなどは
認識を変えるいい機会です〜
*
すぐ手前は道路なのだけど
テーブルをおいて晩御飯食べて夕涼みしていても
案外道ゆく人は気づかないもので
意外と落ち着くんです
広いお庭がなくてもけっこう遊べるのだと
最近気づきました
今後の予定についてなど
*水は塩素などの攻撃がなければ
結合をはずして
玉になり、必ずそこから手を出す性質がある
*手を出してつないで、また離す
この動きがとても大切
*なんらかの要因で、水が手を引っ込めてしまうと
孤立してまわりが見えなくなり
新たな情報がつかめない(細胞が入れ替わらない)
*受け入れているかいないかで
からだのはたらきが全然ちがってきてしまう
*水を最も動かすものは意識
*水は集団化すると情報の伝わりがわるい
*つかみっぱなしは情報が通わない