ここのところ、
自分がどこに「気」をおいているかを
気をつけるようになりました。
なぜなら
気のおきどころによって
充実感や疲労感が大きく変わってくるから。
「気をとられる」って表現があるように
そんなときは、ことばどおり
ほんとうに「気をとられている」のだと思うのです。
そして
もしかして、
「気をとられる」ことが、
疲労の原因の
かなり多くを占めているのではないのかな。
- 「気をそそぐ」のは主体的。
- 「気をとられる」のは受動的・従属的。
いろんなことが考えられるのだけど
たとえば、
- は、自発的にしようとしてしていること
- は、義理や義務感「しなければならない」があること
そして
思考停止気味でしてしまうこと。
ほとんどのひと、多くのひとが(もちろんわたしも)
「しなければならないこと」を暮らしに織り込んで生きているので
ゼロにすることはまったく現実的ではないのだけど
気をそそぐか、とられるか、
一日の中では
自分で決められる時間もあるとおもうので
、
その「決めることができる時間」をどう使って
どこに気をそそぐかに敏感になることが
なるべくつかれずに
日々を過ごす方法のひとつなのかな。
たとえば、何気なくですよ、
スマートフォンを手にとって
インターネットの中に入っていくことは
ときに
軽い思考停止状態になっているような気がして
知らず知らずに消耗し、疲労感が増すこともあるのではないのかな。
なんとなくYou Tubeを延々と見続けちゃうとか。
You Tubeがわるいと言っているのではないですよ
わたしはよく楽しませてもらっています
気をどこかにあずけ過ぎるのが疲労の元だったりして・・
と感じたお話でした
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