変化をうながすのに
形から入るということも
ひとつの方法かもしれません。
もう、10年近くも前に
足について
ある方から
興味深い話を聞かせてもらったのです。
- 「足もとを見られる」の意味は、靴のよしあしだけでなくて
足自体の意味合いもあるかもしれないし - 「足もとを見つめなおす」という言い方も
振り返りだとか、
まるで心のありようとつながっているよう - 「足りる」「充足」・・
それと対になる
「不足」・・
なぜ「足」という文字が使われているのかも
意味ありげです - そうそう、「足を洗う」という使い方もありますよね
「足」にはなにかありそう!
ならば
形から入って
足をきれいにしてみるのもいいかもしれないと
あらためて気をつけはじめたのが9ヶ月前。
足の爪をていねいに切ったり
かかとのカサカサがないか気をつけたり
足指まわしなどをしながら
お手入れしたこともあって
10〜20年前よりも
やわらかな足裏になってきています。
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ここ9ヶ月で
なにか変わったかな〜と思い返してみると・・
実は「生きる」ということについて
相当の思いちがいをしていて
ほんとうのところは
生きるということは
とてもシンプルなことで
今、いま
思うこと・いうこと・することが
すべてなのかもしれないな〜と
考えるようになってきたことです。
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まだ、腹に落とし込めていないので
抽象的な言い方しかできないのですが
わたしにとってはとても大きく、
価値観がひっくり返るような、ちょっとショックなことでもあります
あと、
最近夫が職を変えたのですけどね、
ここ半年くらい
思いもよらない偶然が重なって
奇跡的に、ずっとしたかった職業につけていることは
身近にいるわたしにとっても
とても大きくて
うれしい出来事でした。
これらのことは
わたしが足をきれいにすることと
関連が、あるかないかが
わからないところなのですが
足を、より意識的にきれいにするようになってから
わたしが見ているこの世界が
ちょっとずつ変わってきているのはたしかなんです。
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もちろん、
この世界は
足だけきれいにしていれば
OK!なんてことではないのでしょうけど。
![](https://samariablog.com/wp-content/uploads/2021/09/img_6848-1024x768.jpg)
足裏に気をよせることは
なにかを聞きながらでもできますし
とくにそろえるものもないので
おもしろがってでも
日常に入れてみるのも
いいかもしれません。
そうそう、オピスエールをお持ちでしたら
日々浴槽にちょっと入れるだけでも
少しずつ変わってくるようですよ。
汚れやにおい落としだけでなく
年末にかけての家の空気の浄化にもぜひお役立てください
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足と心はつながっているんだよ
「足を洗う」っていうでしょう
それは「心を洗う」と同じ意味なんだよ
足にはすべてが出るから
足が柔らかくきれいなひとは心がきれいなの。
足裏にすべてが出ると知っているひとは
簡単には足裏を見せないんだよ。