ハノイの戦士

先月ベトナムに行った際に

日本人のほとんどが知らないけれども

ベトナム人は皆知っている

(なぜなら教科書に歴史として載っているから)

戦時中のベトナムと日本についての話を知ることになったので

共有させてください。

1940年代、第2次世界大戦中

すでにフランスに統治されていた

ベトナムは反乱や独立運動が各地で起きていました。

その頃、日仏同盟を結んでいた日本も

フランスと共に、ベトナムを支配するようになり

第2次世界大戦中に

ベトナムから大量の食料徴発(占領地から食糧などを強制的に集めること)をして

かなりの量のお米を日本や日本軍のいる戦地に流していました。

1945年、ハノイなどのベトナム北部は飢饉にみまわれました

日本の情報ではもっと少なく伝えられているようですが

その数なんと200万人。

当時は日本も食料が不足していたけれど

このようにして流れてきたお米をいただき

命をつないでいたとも言えるのです。

よかったら

「ベトナム飢饉」で検索してみてください。

このことは

ほのかさんが、ハノイのホテルに着いた日に

「戦うつもりでいたのに、戦うこともできずに飢えて命を落とした
草むらの中の戦士が訴えかけてくる」

と知らせてくれたことから知ることができました。

ここは

おとむらいに行くようにと観音様から伝えられた

ビジョンで伝えてくれたという仏教寺院。

ベトナムには各地に戦争の記憶が土地に残っているようですが

ベトナム人は大人数で賑々しく

外食をすることが好きなように見えました。

見ようによっては

そのこと自体が土地全体への浄化につながるのかもしれません。

大学で日本語を教えられているベトナムの方とお食事した際に

お聞きしたところ

ベトナム飢饉については、みんなが知っていることだけれども

日本人は嫌いとか

そういうことにはつながっていない気がすると

言われていました。

どちらかといえば

北部の人にとっては

「日本・・うーんアメリカ寄りの国ね」といった感じだとか。

こんなこともあったのだと

多くの方に知っていただけたら

そのこと自体もお弔いになるはずです。

今後の予定についてなど

先日お知らせした松の石けんは完売しました

・来年もお味噌の会を開きます・詳細決まり次第お知らせします

・1/18に所沢で石けんクラスを開きます(満席)

・2/15にほろ馬車亭さんで石けんクラスを開きます(満席)

オピスエール〜妖精の翼

お客さまの声に皆さまのさまざまなご活用法を載せてあります

「なんとなく気持ちがいい」とのお声が一番多く

汚れやにおい落としだけでなく
家の浄化にも役立つ、森の微生物が入った液体です

お掃除が苦手な方もぜひお手にとられてみてください
「お掃除が楽しくなった」とのお声も多くいただきます

オピスエール~妖精の翼のご注文はオンラインショップへお願いします

オピスエール2L6本セットについて