ちょっと勘違いしていたなと思うことがあるんです。
「価値観が大きく変わるとき」
というのはですね、
それはたとえば、明治維新・第二次世界大戦後
くらいのですよ。
それまでの
江戸時代・戦中の概念が
「大きく変わった・変化した」のではなくて
そこは
バサーっとなくなり、
まったくちがう概念が立ち上がりましたよね。
と、いうことは
いま、この大きな変化のタイミングでも
いまあるもの、
既存のものが大きく変わるのではなく
まったくちがう概念が立ち上がってしまうので
今、正確にこれからを予想することはだれにもできなくて。
そうはいっても
今までと同じようにと暮らしていたら
あるタイミングであらびっくり!
と、なりかねないのです・ほんとに。
人類は今まで何度となくそんなタイミングを迎えています。
どうなるのかの細かなことは
だれにもわからないことだけど
ほんとうに
「ひっくり返っちゃう」のではないかと思うのです。
そんなことが待っているということを
今を生きるわたしたちは
シートベルトを締めるように
せめて心構えだけは
しておいた方がよさそうです。
じゃぁ、どうすればいいのさ!
となるのだけど
ほどよく脱力しながらも
自分なりの価値観を
持ち続けていくことが
より大切になっていくのではないでしょうかね。
気づかずにだいじにかかえている
「一般常識」はどうなるかはわからないけど
自分なりの価値観は
自分の世界では「絶対」なので
なにがどうなっても関係ないから。
ただ、きっとそこにも法則のようなものはあるので
単に自分勝手に生きればいいというものでも
なさそうだけど。
いまあるものから派生して変化するのではない・と
思っていれば
いま、違和感を感じることがあれば
それごとバッサリ捨ててしまった方が
新たに立ち上がる世界に
対応しやすいのかもしれません
ここのところわたしが違和感を感じていることは
長く美徳とされてきた
「努力・がんばること」
やる気なく生きていくのとは
ちょっとちがうのですけどね
これではまだまだ・もっともっと・・
と努力してがんばることは、今、そのときの否定から入っているから
もっともっとって際限がないんです
まずは今を受け入れる・引き受けることから
始めると
ちょっとした学びもうれしく、
その日いちにちが微妙に変わることが
感じられておもしろいなーっと思うのです。
・近日中に今後の予定をおしらせします
・9/19に松の杜くげぬまでのお松フェスに出店します
・(塩)みりんを仕込む会は満席になりました
・ときどきインスタグラムに投稿しています
・音声配信、しばらくお待ちください〜