「急ぐ気持ち」と「時間」そして「気」との関係性

前回の記事「もんだいぼっぱつ」のSEO(検索エンジン)の件は
プログラミング勉強中の娘に助けられて、先が見えつつあります
おさわがせしました!

今日は、そのあわあわした最中に気付いたお話です

パクチーってひとつの種から2つ芽が出てくるのですよ
なんか、たくましいです

  • いま考えてもなにもならないことは「切り離す」
  • 急ぐほど、あせるほど、時間の経過が早い
  • 時間がないと感じる原因のひとつは「気の散り」

いま考えてもなにもならないことは「切りはなす」

まずは、今考えても、試みても

どうにもならないことは頭の中から完全に切りはなしました。

いま、わたしがすると確実によいことだけを進めると決めると

いま、なにをしたらいいかが見えて

集中することが出来ました

急ぐほど、あせるほど、時間の経過が早い

皆さまも心当たりがあるかもしれません。


急いでしようとすればするほど

ミスが増えたり、気が散ったりして

したいことが進まないもので


そんなときって、時間の経つのがなにかの間違いかと思うほど

びゅんって過ぎていきます

この「気の散り」が

いそがしい、時間がないと感じる大元のひとつなのではないかな。

時間がないと感じる原因のひとつは「気の散り」

もちろん自分も含めて・・

便利さが増しているのに、そして働き方も変わってきているはずなのに

なぜか多くのひとがいそがしそうにしている。

なぜだろう?


原因のひとつに「気が散る」があるのではと感じました

知らず知らずのうちに「気」が「散っちゃって」いるのでは。


今って集中しようにも

気を引く情報がいくらでもあるから。

情報を得るということは

「気」を引かれちゃっていることでもあるのだなぁ

ひろみ

大切な時間と気を使ってここに来ていただいているということでもあります・・


ついついいろんなものに

価値を見出してしまいがちだけど


わたしたちの持っているそれぞれの時間、

いや、わたしたちそのもの・わたしたちそれぞれの存在自体が

実は何ものにも代えがたい


すっごい宝物なのかもしれない。